学生歳時記~A.Kの孤軍奮闘~

学生の学生によるどこかのどなたか様のためのブログ。
日記チックになりますが時々面白いことを書けたらと思います。

『ショーシャンクの空に』観ました!

どうも、A.Kです!


って言うのがくせになりそうです笑

今日は映画について、、、
毎日こんな感じで唐突に話題出すつもりなんですけど、ブログってそれでいいんですかね?笑


さっき観たんです。


『ショーシャンクの空に』!!!!

ショーシャンクの空に [DVD]
ショーシャンクの空に [DVD]
メーカー:松竹
登録日:2004-03-25
カテゴリー:DVD

なんでみたかって言われると難しいんですが、時々観たくなるんです笑
単純に笑


今日はその感想を書こうと思います!


※ネタバレの部分には注意をいれた上で文字薄くして、改行もなく読みにくくおきますので、ばらして欲しくない方はそこだけ読み飛ばしていただければと思います。


◆あらすじ(Yahoo!映画から引用です笑)

妻とその愛人を射殺したかどでショーシャンク刑務所送りとなった銀行家アンディ。初めは戸惑っていたが、やがて彼は自ら持つ不思議な魅力ですさんだ受刑者達の心を掴んでゆく。そして20年の歳月が流れた時、彼は冤罪を晴らす重要な証拠をつかむのだが……。


◆感想

この映画には、大きく2つのテーマを感じました。


1つは終身刑と社会復帰という社会的な問題
もう1つは希望を捨てるな、というメッセージ


一般的な解釈とは違うかもしれませんが、それぞれについて書いてみます。


●終身刑と社会復帰

【Caution!】※ここから4行ほどネタバレ含むかもしれません



50年間も刑務所にいたというブルックスは、終身刑になった囚人の典型例として描かれています。若い頃に終身刑になって、老いぼれてから仮釈放される、というパターンです。しかし、外の世界に出ても、彼はうまく社会に適応できず、結局自殺してしまいます。彼は仮釈放が決まった時に、刑務所内の友人を刺して仮釈放の取消をさせようとしました。おそらく、こうなることがわかっていたんだと思います。



終身刑は死刑より人道的な刑罰だみたいな言い方されたりしますよね。
それで死刑を廃止して終身刑とか無期懲役とかを最高刑にするべきだっていう論がありますけど、
こうやって見てみると、死刑になった方がもはや気が楽なんじゃないかって思えるくらい重く、厳しい刑罰だなと思いました。


社会復帰にも限界があります。それを実質不可能にしてから、

「よし、『更生』したね」

と言って仮釈放したところで、その囚人はその後まともな人生を送って行けるんでしょうか?

服役期間ずっとその囚人を養う費用、
社会復帰のための住居や仕事を手配する費用、
うまく稼げなかった場合の生活保護の費用など、国の負担を増やすだけじゃないだろうか?

そんな気持ちになっちゃいました。


●希望を見失わないこと

Mr.Childrenの「one two three」という曲があります。


http://www.mrchildren.jp/disco/#album/album12

Mr.Children 「one two three」

この曲の一節に、ショーシャンクの空にが出てきます。

高らかな望みは のっけから持ってない

でも だからといって将来を諦める気もない

ぬるま湯の冥利と分別を知った者特有の

もろく 鈍く 持て余す ほろ苦い悲しみ

これがone two threeの大意を示していると思います。


いつか、希望を叶えてやるって虎視眈眈とその機会を窺っています。

もちろん、急に上手くいってくるくる思い通りに回りだすわけがないけど、でもそんな姿を夢見ながら希望を持ち続けるんです。


ビデオに撮った「ショーシャンクの空に」見てからは

もっと もっと 確信に近いな

暗闇で振り回す両手もやがて上昇気流を生むんだ

そういう感情も、この映画を観てからは確信に変わります。



【Caution!】※ここから5行ほどネタバレです完全に



アンディーは、唯一の手がかりであったトミーを殺されたため、もはや罪を晴らす可能性が断たれてしまいました。ブルックスみたいに、仮釈放が認められる頃には老いぼれて、財産もなく、社会に適合もできず、ただただ寂しく死にゆく姿しか予想できません。しかし、彼はそれでも希望を捨てませんでした。聖書に隠していたハンマーを使って、自身の趣味である地質学の知見を最大限活かしながら、懸命に穴を掘り続け、また、所長の手助けを経由して金を貯めました。そして19年の歳月が流れ、穴は開通し、遂に彼は脱獄を実行、成功を収めるのです。


アンディーの姿勢は、確かにone two threeのテーマと重なるところがあります。


こういう視点であのポスターやDVDに載っているあのシーンを観たら本当に気分が良くなりました!


◆後記

正直ネタバレのとこ読まないともはや意味のある文章にならない気がするのですが、一応書いてみました。


映画は昔からよく見ていたわけではないので、映像がどうとか、演出の仕方がどうとかはあんまりわからないのですが、何か思うところがあれば書き残すようにしています。


『ショーシャンクの空に』って今では不朽の名作と言われていますが、賞を受賞したりとかはあまりしてないんですね。

それがちょっと意外でした。


じゃあ、今日はこの辺で!

わざわざ読んでいただきありがとうございました!!




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国際政治学におけるリアリズムの萌芽と勢力均衡論

今日の分の更新をばをば。

どうも、A.Kです。


今日は国際政治のリアリズム理論の系譜をざっとご紹介してみようと思います。

ただ、今回は時間、文章量の都合上、「覇権安定論」については省略します。
たぶん近いうちに書きます。


なので、今日はリアリズムの系譜のうち、その萌芽と、勢力均衡論について書きたいと思います。


そういえば、基本的にいつもそうですが、僕も自分の勉強の為に書いてるところがあるので、もしかしたら間違いもあるかもしれません。
その時はご指摘いただけるとすごくうれしいです。

それが面倒であれば笑って見逃がしていただけたらと思います。


●目次

◆はじめに


◆リアリズムの萌芽

◆勢力均衡論(バランス・オブ・パワー)

◆終わりに


◆はじめに~国際政治とはなんぞ~

まず、そもそも論なんですが、国際政治ってなんなのかってことです。


もちろん国際的な政治です。

イメージとしては、最近だったら

中東のISISが勢力を伸ばしているけど、あれにはどうやって日本とか、アメリカとかは対応していくのか
とか、そんなものが浮かぶんじゃないかと思います。


国際政治は、学問としては、第1次世界大戦後のヨーロッパで生まれ、第2次世界大戦後のアメリカで発達していったものです。
この背景には、これらの2つの大きな戦争が起きてしまったのはなぜなのかを探り、今後このようなことにならないようにするにはどうしたらいいか、ということに関心が持たれたことがあります。


なので、これからお話しするリアリズムの理論というものも、基本的には国際社会の秩序をいかに安定させて、第3次世界大戦を防ぐか、という目で見ていくとわかりやすいんじゃないかと僕は思っています。


◆リアリズムの萌芽

リアリズムの伝統は、古くは古代ギリシャのトゥキディデスや中世イタリアのマキアヴェリに始まると言われていますが、学問的に確立したのは第2次世界大戦の時の国際社会の風潮に対する批判を通してでした。


その風潮というのが、「古典的リベラリズム」というものです。

リアリストから言わせれば「ユートピアニズム(理想主義)」と言われたりもします。


古典的リベラリズムとは、第1次世界大戦後、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が唱導した考え方で、大戦前のヨーロッパにおける勢力均衡では秩序は守れないため、法律によって秩序を守るべきだと主張するものです。


その考え方に基づいて、国際連盟の設立、不戦条約の締結によって戦争が「違法化」されました。
意外に思うかもしれませんが、それまで、戦争は「法的には」違法じゃなかったんです。

もちろん道義的には嫌がられるものでしたけどね。


そして、国際連盟の下で「集団安全保障」の体制が構築されました。
集団安全保障とは、世界の各国が戦争が違法であることに同意し、その法を犯して侵略行為に及んだ国が出たら、他の国で共同してその侵略国を懲らしめる、という考えです。
今の国際連合にも引き継がれています。


しかし、みなさんご存じの通り、この国際連盟の集団安全保障体制の中には、言いだしっぺのアメリカが入っておらず、また敗戦国ドイツや、共産主義革命を果たしたばかりのソ連も入っていませんでした。

その上、この集団安全保障システムを各国に強制する力を誰も持っていなかったため、このシステムを犯す侵略国が出てきても、本当に他の国が共同して侵略国を戦うのか、確信できる要素はありませんでした。


イギリスの国際政治学者E. H. カーは、第2次世界大戦直前に著した『危機の二十年』という本の中で、

こういう状況であるのだから、これで集団安全保障が機能するなどという願望的思考に基づく外交は危険だと批判しました。

そこで彼は、当時勢いづいていたナチス・ドイツへの対応として、勢力均衡を説いたのです。


これが国際政治学におけるリアリズムの端緒だと思います。


◆勢力均衡論(バランス・オブ・パワー)

では、そのE. H. カーが説いた勢力均衡論が、その後どのような変遷を経たのかをご説明します。


●モーゲンソーの政治的リアリズム

結局第2次世界大戦は発生してしまい、古典的リベラリズムはダメなんじゃないか、という風潮ができたため、リアリズムが注目されるようになります。
そこで活躍するのがアメリカの国際政治学者ハンス. J. モーゲンソーです。


モーゲンソーの主張はこうです。
政治は常にパワーを巡る闘争になる。国際政治も同様で、国家は自己目的化したパワーの最大化に努める。したがって、そのような国家が蠢く国際社会の秩序を安定させるためには、勢力均衡が必要である。


勢力均衡の大前提は、「力の真空は侵略を招く」というものです。

国家間のパワーの格差が大きいと、パワーの大きな国家からしたら他国に侵略しても代償はそんなに大きくないと思われるため、侵略しやすくなってしまうよ、ということです。

逆に言えば、パワーの格差が小さければ、侵略の代償が大きくなるので、侵略しにくくなります。この状態を作るために、国家は勢力均衡を図るべき、とされるのです。


でも、この勢力均衡、全ての国家のパワーを一律にするなんてことを主張しているのではありません。
国際社会全体における主要な大国の間で、均衡がとれていれば良いのです。
この均衡のしかたには、

2つの超大国間の均衡がとられるべきとする「2極安定論」と、

もっと多くの大国間で均衡がとられるべきとする「多極安定論」とがあります。


●ウォルツのネオリアリズム

しかし、1970年代初めになると、リベラリズムが勢力を巻き返し、リアリズムが批判にさらされてきます。
そこで、もう一度リアリズムを捉え直したのが、アメリカの国際政治学者ケネス・ウォルツです。


彼は、科学的な国際政治理論の構築をめざし、原因と結果に関わる要因をできるだけ減らそうとしました。つまり、何が最も重要なのかを探ったのです。


そして、一般的に国際政治の分析には
・構造レベル(国際的な事情、例えば国家間のパワーの分布状況など)

・国家レベル(国内の事情、例えばその国の政治体制、世論など)

・個人レベル(例えばヒトラーはどんな人間かなど)

がありますが、ウォルツはこのうちの構造レベルに専ら着目すべき、としました。

どういう国だろうが、どんな指導者がいようが、国際政治の構造の変化によって必要が生じれば、国家は自国の生存の為に戦争を起こせるものだからです。


この国際政治の構造を決定づけるものとして、
・国際社会が階層的か無政府的か
・国際政治の主体の間に役割や機能の違いがあるか
・主体間のパワーの分布状況はどうなっているか

が大事であるとしています。
しかし、現在の国際社会は無政府的であり、国際政治の主体国家間はみな自国の生存を求める点で機能は同じなので、結局「パワーの分布状況」こそが大事ということになります。


まぁ本当は国内レベルも個人レベルも関係してきますし、それらについて合理的に考えたところで説明できない現象も起きますが、彼はそれらは国際政治全体の説明には必要ないとしています。


◆終わりに

書き疲れました笑

いやぁ国際政治学の中でも基本中の基本みたいな分野ですが、そもそも僕は政治学というものにあまり慣れていないので、理解するのが大変で大変で。。。


最初の方にも書きましたが、もし間違い等ありましたらご指摘いただけるとうれしいです。

また今日も参考文献は下に書いておきます。


では今日はこの辺で!


・参考文献
村田晃嗣他『国際政治学をつかむ』(初版)(有斐閣、2009)
ジョセフ・S・ナイ・ジュニア, デイヴィッド・A・ウェルチ『国際紛争』(原書第9版)(有斐閣、2013)
E. H. カー『危機の二十年』(岩波書店、2011)


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なぜアフリカの国々の国境には直線が多いのか

どうも、A.Kです!

今日は国際法の話をしようかと思います。


◆はじめに~この話をするきっかけ~

なぜ、アフリカの国境の話をしようと思ったか。

それは、先日の塾でのバイトでのことでした。



2日連続バイト出てきてますが笑


生徒にこんなことを聞かれました。


「ねぇ先生、国境ってさ、普通ぐにゃぐにゃじゃん?なのにすごいまっすぐなとこもあるのはなんなの?バカなの?」


バカとはなんだバカとは!

どうやったら国境を直線で引く人々がバカになるんだ!おかしいだろ!

という説教はほどほどに、その時はザーッと説明してあげました。


まぁこんなことがあったので、

小学生なのにそこ気になるんだ!僕の小学生時代なんて…
とか思いながら、知恵袋や他のブログなんかでもよく出てきているテーマだし、
僕も僕なりのものを書いてみることにしました。


(『ヨーロッパ及びアフリカの地図』Google Map より)

ぱって見てもやっぱり直線多いですよね。


◆直線にしたのは誰か

まず、そもそも直線で引こうと思ったのは誰なんでしょうね、という話です。


普通に考えたら

「アフリカの人々じゃないの?」

と思うかもしれませんが、実はこれは、


【ヨーロッパ諸国の植民地主義】


と深い関連があります。

19世紀のヨーロッパでは、産業革命が成功し、市場をどんどん広げようとしていました。
そこでヨーロッパの南にあるアフリカに目を付け、そこを植民地化することで自国の市場を大きくし、利益を得ていたわけです。


しかし、ヨーロッパと言ってもいろんな国があります。
アフリカ植民地競争に参加した国は
イギリス、フランス、ポルトガル、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー

です。
これらの国々が、アフリカの植民地を少しでも増やそうと争ったわけです。

そして、19世紀後半頃、ベルギー国王レオポルド2世が、コンゴを私有しようとしたことが、ベルギー国内外で大きな論争になり、
また、ニジェール川流域に置いてフランスとイギリスが対立を深めてしまったので、

その混乱を収束させねばならないということで、

ドイツの首相ビスマルクがこれらの問題を解決するための会議を開きました。

「ベルリン会議」と言います。


この会議で植民地の境界線が決められたのですが、その時に、

「じゃ、こっからここまでおれの植民地ってことで」

みたいなテンションで、アフリカの人々の民族分布や歴史などは度外視して決めた結果、アフリカの植民地は直線的に区切られてしまったのです。


つまり、直線を引いたのはアフリカの人ではなく、ヨーロッパの人だったんですね。


◆なぜ現在までそれが続いているのか

でも、不思議ですよね。


アフリカの国々は第2次世界大戦後、きちんと独立を果たし、立派な国家を建設しています。
ならば、その時に、
「ヨーロッパ人が決めた国境じゃだめだ!おれらはおれらで国境を引くんだ!」

ってなってもいい気がします。

なんせヨーロッパ人のせいで同じ民族が違う植民地に引き裂かれたりしたわけですから。


しかし、そうはなりませんでした。


国際法では、「ウティ・ポシデティス原則(Uti Possidetis Juris)」という原則があります。
これは、簡単に言うと


【現状維持の原則】


です。
つまり、アフリカの諸国が独立の際に、民族統合などを目指して新たな国境を主張し始めてしまうと、せっかく独立しても他国との間で国境紛争が多発してしまうため、
とりあえず国境は植民地時代に引かれてた境界線で良いということにしておこう、ということです。


どこの条約で認められているというわけではありませんが、ICJ(国際司法裁判所)では、これを一般原則として認めています(ブルキナファソ=マリ国境紛争事件(1986)、リビア=チャド国境紛争事件(2005))。


まぁ、あんまり喜ばしいわけではないけど、紛争を未然に防ごうと思ったらこれが一番ましかな、ということなのでしょう。



◆終わりに

そうは言っても、現実には国境紛争はたくさん起きていますし、国内においてもやっぱり民族対立が激化しちゃって内戦が起きたりしていますよね。

スーダンはアラブ系政府と非アラブ系住民の間で内戦が起き、結局この間、2011年に南スーダンが独立しましたね。

他にも、例えばルワンダでは、1994年にフツ族の過激派が同じルワンダ国民であるツチ族の人々を虐殺するという大事件がありました。
これは「ホテル・ルワンダ」という映画にもなっています。

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メーカー:ジェネオン エンタテインメント
登録日:2006-08-25
カテゴリー:DVD

なかなか難しい問題ですね。
今アフリカの諸民族に「争うのはやめようよ!」なんて言ったって、そんなん無理な相談だと言われておしまいですし、かと言って過去を変えるわけにもいかないし。
嗚呼、悩ましいです笑


◆後記

一応、他のブログなんかを拝見させていただいて、ウティ・ポシデティスに言及しているのはなさそうだったので、そこで独自性は出たかなと思っています笑

最後に、今回の参考文献を載せておきます。


・ブログ
「各ブロガーいずくんぞ種あらんや!」(http://plaza.rakuten.co.jp/hidetaka1220/diary/200903200000/)
「だすだすのぐんのび 中学社会 テストに出る時事問題」(http://blogs.yahoo.co.jp/fdm34871/58727099.html)
・HP
外務省HP「アフリカが直面する課題とわが国の対アフリカ外交」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/12/sei_0630.html)

「世界史の窓」(http://www.y-history.net/appendix/wh1402-001.html)
・書籍
中谷和弘他『国際法』(初版)(有斐閣アルマ, 2007)




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